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源氏が寿ぐ、清盛の生き様 〜大河『 #平清盛 』あれやこれや
とりあえずのアップ。修正とか補完とかするかもしれません

最終回。

「『平清盛』はあくまで清盛の一生が主軸だから、戦シーンはダイジェストになるだろうな」の予測通り、壇ノ浦は見事なまでにあっさり畳んだ。淡々と語られるおびただしい死者の名の中、映像化された時子の入水と碇知盛は、壇ノ浦の、そして平家の滅びの象徴だった。

入水前、毅然と顔を上げる時子の美しさは言葉にしがたく、知盛の「見るべきものをほどを見た」は、散華する平家の遺言として刻まれた。

平家を滅ぼした頼朝は、かつて「今日は昨日と同じ、明日がどこにあるか分からない」と彷徨っていたが、政子と共に明日を見つけた瞬間、時間は光のように流れ出した。平家は、その、光の奔流に押し流されたのだ。

その中、弟義経を討たねばならぬことに迷う頼朝の前に、清盛が現れたのは。『己の理想とする武士の世』への覚悟を問うため。かつて、叔父を斬り、平家の世を作った清盛だからこそ問えるもの。

かくして、義経の血を捧げ、頼朝は武士の世を作り上げる。やがて北条に飲み込まれるだろう自らの運命も、彼なら自身の理想のために、喜んで身を捧げたのだろう。

終わってみれば、予想された悲劇でも惨めな粛清劇でもなく。生ききった平家の人々の誇りとすがすがしさを余韻に残した物語となった。

大河ドラマ『平清盛』は、

死者が紡ぐ、生者の物語であり。
源氏が寿ぐ、平家の物語であり。

平安末期から鎌倉へ続く、混沌の群像劇であり
武士の世へ続く、『魂』の物語であった。

なぜ、語りが頼朝でなければならなかったのか。清盛から、魂のバトンを受け取ったからだ。世代を担う者だからゆえの、必然だった。

武士の世を目指しながら、いつしか武士で無くなった清盛。本当の『武士の世』を築くには己自身の変質が必要で、その結果、目指した武士の世そのものからの淘汰を余儀なくされた。

変化しなければ、生き残る事はできなかった。しかし、変化したからこそ、時代の中で生き残る事はできなかった。あらゆる生命を飲み込む、過酷で、辛辣で、一片の慈悲もない、継承と淘汰の原則。その流れにもがき、あがきながら、血の通った人々の心情と、死者から受け継いだ生者の志が、あたかも水面のきらめきのような輝きを魅せた一年だった。





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『ぼくらが愛した「カーネーション」』 #カーネーション


そのドラマは、これまで観て来たドラマとは、あまりにも格が違っていました。破格のそれは、ユーモアを交え、真摯に、時に辛辣に、一人の女性の人生を描ききりました。

業と欲を肯定し、それらが手を取り合って軽やかにダンスをするような。そのステップに翻弄された半年間は、自分が思う以上に、とても幸せなものでした。

朝ドラの枠を越え、日本のTVドラマ史に残ると言っても、決して過言ではない『カーネーション』。その本がやっと出た、というので購入したのですが。

参ったなあ。
第一章の台詞を数ページ読んだだけで、涙が止まらなくなったもん。

このドラマで語りたいことは、それこそ無数にある。『脚本が』とか『俳優が』とか、『撮影が』とか。同時にそれらはほんの瑣末なことであって、人間にとって最も大切で失ってはならない、しかし、(本書にも触れられている)容易に言葉に出来ないものがそこここに散りばめられ、弾けるたびに見るものの心を叩きのめしてきた(『心を打つ』なんて生ぬるい表現じゃダメってことは、観て来た人は絶対に分かるはずw)。その、ひとつひとつが思い出されて。

胸の奥底から言葉にしがたい感情がこみ上げて、目の奥がじーんと熱くなる。文字ぎっしりの、お堅い本なのに。


本のタイトル『ぼくらが愛した』の通り、稀有な巡り会わせに感謝し、言葉にしたためた、これは『カーネーション』へのラブレター。しかも『ファンブック』ではなく、実に硬派な『考察本』。

開いてみれば様々な人々の、様々な角度からの解説や解釈が並び、その芳醇なこと。『カーネーション』は幾人もの批評に耐えうる、深いドラマであり。傑作の名に恥じぬ拵えだったのだなあと、改めて思うのです。

そして困ったことに、もっと知りたい、もっと読みたいと思ってしまう自分が(笑)。満足したけど満足できない、もっと読みたくて仕方ない! そんな本に仕上がっています。

余談。
関西ではつい先日まで、木曜お昼に一週間編集版の再放送を流していましたが、何時見ても、ほんの5分も立たずに引き込まれて座り込んでしまうんですね。作業の手を止めて、吸い込まれるように、画面から目が離せない。何度観ても新鮮な感動に包まれ、涙してしまう。

それがノスタルジーではなく、常に新鮮な感動と共に味わえること。私にとって『カーネーション』とは、そういう作品なのです。

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『 #平清盛 』二つの評価
視聴率ばかり取り立たされる『平清盛』ですが、このような二つの記事がありまして。

大河出演9回の津川雅彦「今の大河はヒドすぎる」と激辛苦言【津川雅彦】
「平清盛」不人気、絶賛の玉三郎さん嘆く「世の中、皮肉」 本当の舞台裏は…
 ※玉三郎さんご本人のサイトはこちら

津川さんの記事は幾分盛っている感もあるが、これが本音でしょう。ちなみに『薄桜記』主演の山本耕史は、『平清盛』で藤原頼長役で出演していますが、津川さんにはどちらでも良いことなんでしょうね(でなければ、主演を差し置いての大河批判はできないはずだし)。

津川さんは、自分達が作り上げた『大河ドラマの伝統』が穢されていると感じ、大きな拒絶感を示したように読み取れます。(彼の言う『良い脚本』とは、何本もの共演を果たすジェームズ三木のものを示している向きも伺えます)。
彼にとって大河ドラマの50年は長く古いもので、自分達で築いた故に『守らなければならない』と感じているのでしょう。彼が批判したい気持ちも分かりますが。

玉三郎さんの視点はより深く、より根幹的なものを示しているように思います。衣装や舞台の拵えに言及し、再現したスタッフの苦心に心を砕いていますね。

歌舞伎と言う大河ドラマよりはるかに長い歴史を受け継ぎ、後世に遺すため普請する玉三郎さんにとって、「『伝統』とは常に新しい試みを取り入れるもの。でなければ、あっという間に朽ちてしまうもの」と言う思想が根幹からあるのでしょう。


『平清盛』は、たかだか50年ぽっちで歴史を振りかざす老人へみせた、初々しくも荒々しい『若者の反抗』でもありました。もちろん、作り手たちは反抗の『は』の字も考えてないでしょう。ただ「新しいものを作りたい」と、その一心だったに違いなく、結果として『大河ドラマとは、こうあるべき』という常識へ、真っ向から『反抗』し、楯突いたものになっていました。

でも、ただ闇雲の反抗ではなかった。新しい解釈を取り入れ、新しい形をきちんと示し、自分の考えをきちんと述べており。

だから、歴史を作ってきたと自負する『老人』を激怒させることが出来たのかなと、思うのです。

経験と智慧に富み、人生の場数を踏む老人は、己の怒りどころも熟知しています。もし作り手が定石を踏み体裁を繕い、年上の者達の心を穏やかにさせる演出を採っていれば。老人は「アレはああいうところがイカンが、ここはいい」と生ぬるく誉めることができ、『物分りの良い先人』の体裁を整えることができたのですが。

旧時代に決しておもねらなかった『新しい試み』は、それを許さなかったのでしょうね。


その只中、当のドラマに主演していた役者さんは、何を考えどう行動したか。その一端が、京本政樹さんのインタビューから伺えます。

『平清盛』で、藤原秀衡役を演じた京本政樹さんは、『スタジオパークからこんにちは』でゲスト出演した時に、こう語っていました(記憶なので発言内容に間違いがあるかもしれませんが、大筋でこのようなことを言っていたと思います)。

「僕は『必殺』の印象が強いけど、実は昔から時代劇に出ていた。大川橋蔵さんが自分にとって時代劇の先生であり、大川さんにいろいろ教えていただいた」

「秀衡役で『アイラインが!』と騒がれたが、あれは『眼張り』で、大川さんから教わったもののひとつ。『毛利元就』吉川興経役でも全く同じ眼張りを入れている」

「しかしハイビジョンだと『黒』が『浮いて』みえてしまう。技術革新で、昔と同じメイクでは今の時代に合わない。今回の撮影でそれが分かり、その後、人物造形の柘植さんやメイクの方たちと相談しながら模索し、『目張り』の方法を変えている」

「時代劇にとって、やっぱり所作は大切。だから僕がスタッフや若い役者さんに伝えて行きたい。僕の話を『清盛』のスタッフは大喜びで聞いてくれ、積極的に撮影に取り入れている。神木君もすごく興味を持ってくれる」


否応無く、時代は変わっていきます。『古きよき』伝統と『新しき』革新は、一見して折り合いはつきません。しかし、ぶつかり合い、お互いを『食べあう』ことで、交じり合い合わせあい、やがて残るものは残り、淘汰されるものは消えていくもの。

そうして形になったものだけが、『時代』を作ることができるのでしょう。

『平清盛』もまた、雅な平安京の時代の終焉と、猛々しい武士の世への移り変わりの、せめぎあいの物語であり。二人のベテラン俳優が示した正反対の評価は、『平清盛』と言うドラマの本質でもあると思うのです。


玉三郎さんがNHK『平清盛』サイトへ寄せたコメント
全てが本物。最後まで真剣に見守りたい
NHK『大河ドラマ50』 

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『 #平清盛 』という現象
今年の大河ドラマは、低視聴率ばかり取りざたされてます。


もともと、大河ドラマの視聴率は馴染みのある武将が出てくる戦国時代や、よく知ってる江戸時代が数字を取りやすく、馴染みの薄い時代は落ちやすい傾向がある訳で。例えば戦国以前や幕末や明治〜昭和などは軒並み低い傾向にあることは否めません。

だから、清盛をやると知った時、視聴率的には厳しいだろうなと、ある程度予測していました。なにしろ「わしの知らん時代には、興味ない。もっと分かりやすくつくってくれ」という人を相手にするのですから。

始まってみると案の定で。
しかも今回は『源氏に対する悪役』と言う固定観念のある平清盛、平安末期という馴染みの薄い時代、名前が似ている登場人物(これでもだいぶ整理しているそうな)、美しい平安絵巻を期待したらリアルを優先して見づらい画面(どこぞの知事さんには『汚い』と言われましたっけ)と、逆風をさらに呼び込むような形で進めており。

そうして出た数字と言う評価には「ああ、まあ、仕方ないよね」と思ってます。

お金をかけて、ビジネスでやる以上、信頼を得るには一定の結果が必要で。それに数字として応えられなかった以上は、叩かれてもむべなるかなと考えています。

ただ。言うほどマスコミに対してがっかりしていません。

実際に観て、「面白くなかった」と離れていく人は仕方ないのですが。

イエロージャーナリストや『大衆の味方』のマスコミが、数字と言う目に見える表面だけすくって憶測で叩く様。それに釣られて観てもない人々が、これらのマスコミを鵜呑みにして、さも見た気になって「それいわんこっちゃない」と石を投げる様は。

ある意味いつもの風景で、特に歯牙にかける価値も無いと思っています。
とはいうものの、



…これ、真理ですよね(笑)

それよりも、数字と実際に観ている人々の熱さの差がかけ離れていることの方が面白く。これだけ低いと「つまらないから辞めろ」と言う声が多いはずなんですが。そうではなく、むしろ「マスコミでは悪く言われてるけど、私は面白い」「このままわが道を進んでくれ」的な応援が多く見られ、しかも熱い。

Twitterの『#平清盛』はもちろんですが(『#』をつけずに『平清盛』で検索すると、批判や中傷も読めたりするので、本当の意味での反応を知るにはその方がよいでしょう)。

特に『#盛絵』の盛り上がりが象徴的。
番組側が率先して呼びかけたものでなく、自然発生的に観た人が登場人物や観た感想をイラストにしてネットにアップし、それが広がって今ではプロアマ問わず大きな輪となり、NHK側が拾い上げて各地で展示会を開く流れになっているというもので。

こういう応援の形は、今まで見たことの無いものなので、とても興味深く思います。

他にも『NHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率がワースト更新。どう思う?』のコメントとか。『YOUTUBEのNHK 大河ドラマ 平清盛 メイン・テーマ』のコメントを読むと、支持している人の方が多い。

これ、『新選組!』でも経験した世間と観た人の『乖離』だったりします。

『新選組!』もずいぶん叩かれました。喜劇作家・三谷幸喜が脚本だから。主演が香取慎吾だから。役者が知らない若い人ばかりだから。『新選組』は薩長の人間を殺しまくった殺人集団だから。

実際、当時の視聴率は伸びず、中身を評価しないマスコミの格好の餌食になってました。が、実際に観ると緻密に貼られた伏線、文献を反映したシナリオ、役者さんの期待を上回る好演。

――一話一話を大切に積み重ねた結果としての、ある意味当然とはいえ――結果的に『観た人の心に残る大河ドラマ』として、ベスト10に入っています。
私自身もとてもはまり、非常に面白く観てたのでよく覚えています。日刊イトイ新聞のコメントも楽しみでしたしね。

あと、清盛に対する声には、こういうデータもあるんですね。確かに、あの野心的な拵えは保守的な人には否定される傾向にあるかもしれません。


とは言うものの、私自身も当初は『平清盛』の魅力がよく分かりませんでした。仕事でやむなく飛び飛びで観てるせいもあるけど、「何かがイマイチ、ピンとこない」という印象は拭えませんでした。

同時に画面の端々で感じる新しい息吹、予定調和を否定したドラマの創造、予想を超える役者さん達の熱演、平家滅亡に向かって積み重ねられる伏線の数々、文献や記録を丹念に拾い上げて練られたエピソード、平安という時代の再現に挑戦するスタッフの熱気。これらを否定する気持ちには全くなれず

「分かった、批判覚悟で作るなら、思うとおりに進んだらいいよ」
という気持ちで見守っておりましたが。

ここに来て
「ああそうか、これを描きたかったんだな」
と納得することばかりです。

よくよく観れば、この役者さんもあのエピソードも『必然』だから登場したのであり、『てこ入れ』ではないということがよく分かります。そもそも必然しかないんだから、打算的かつ余計な『てこ入れ』なんて、必要ないんですな(あ、特番的てこ入れは歓迎です。ばんばんやっちゃってくださいw)

それに、失敗を煽るばかりのマスコミだけでなく、『『平清盛』はなぜ苦戦しているのか』のように観た上で批評していたり、『ドラマでアンチヒーローから脱却『平清盛』』と、観た上で(もしくは観た人の声を拾い上げて)評価したり、日経エンタテイメントで清盛を取り上げたりしてくれているので、『新選組』の時ほどささくれた気持ちにはなってません(笑)

「その時間で直接チャンネルを合わせた人だけをカウントする」視聴率ではなく、「観た人がだれだけ満足したか」の視質率を計ればいいのに。本放送だけじゃなく、録画や再放送も総計すればいいのに、と、よく思います。

とはいうものの、現存のシステムに依存する以上、低視聴率という記録を作ってしまった以上、スタッフの責任を問う声は厳しいものになるでしょう。しかし『平清盛』は、観た人の記憶に留まるドラマになるだろうと思います。それもTwitterというネットの声を巻き込んで、今まで見たことのない現象…創り手と観る側の新しい繋がりを現しつつ。

あと10話。このまま最後まで突っ走って欲しいものです。


余談:『ロードオブザリング 二つの塔』でセオデン王の爪の間が黒くなってたり、『タイムスクープハンター』のリアルで飾り気のない空気の作り方を観て「大河ドラマでもここまでやればいいのに」と常々思ってましたが、「画面が汚い」という声に「いやあ、無理だな」と実感。

再現しても、見る側に受け止める力がないとダメなんだと、妙な形で納得しました。
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#カーネーション 僕たちが、(尾野真千子に)恋をした理由〜感想まとめ
理由と言われても、そんなものなんて無い。

だって、とても美しかったじゃないか。
巻き舌岸和田弁も、舌打ちも、怒鳴り声も。
ミシンに向かう姿も、子供達をどやす姿も、手酌で晩酌する姿さえも。

こんなに生命力に満ちたヒロインを、誰も見たこと無いのだから。

綺麗でかわいいヒロインはたくさんいた。
お嫁さんにしたいヒロイン、妹にしたいヒロイン、けなげに頑張るヒロイン。
朝という時間にふさわしい、爽やかという役割を担ってきた。

だけど、彼女は格が違った。違いすぎた。
あまりにも生々しく、エロスさえ帯びる濃密な存在感を放っていた。

誰もが忙しいはずの朝。
ニュースもバラエティも仕事や学業への身支度に勝てないはずなのに。
彼女は、そこから貴重な15分を盗んだ時間泥棒だった。

あの15分。

小原糸子を演じる尾野真千子に恋をしたのか。
尾野真千子が演じる小原糸子に恋をしたのか。

きっと、両方なのだろう。



↑タイトルのネタ歌。


以下、感想の総括です。気が向いたら足したり削ったりするかもしれません
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