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『その歳で、いつまでもキャピキャピした女の子をやるのはイタイしみっともないよ』
自分はTRPGが好きだけど、いわゆる巧いプレイヤーではない。よくGMの意図を読み違え、脱線する。いろいろ勘違いして、一緒に遊んでくれるPLに迷惑をかけている。ゲーム的てデータの解読は致命的に出来ず、いろんなことで、無理をしているなと自覚することもある。

それでも、やっぱり、ダイスを振ることが好きだし、みんなと一緒に先の見えないお話を辿るのがわくわくするし、何より、『女の子』のPCを動かすことが、大好きだった。

自分が『少女』というキャラクターが好きなのは、その存在自体が、自分にとって生命に触れるようなものだからだろう。もともと、キャラとして可愛い女の子やキラキラしたエルフ系が大好きだったこともあって、TPRGを通して、そういう存在に触れ続けることは、自分にとってとても掛けがえのないものだったのかもしれない。

そんな自分に、タイトルの言葉を、ある人が言った。

「同じ傾向のキャラばかりやらずに、
 もっと目を広げなよ」

そういう意図だと言う事は理解した。実際、自分も演じられるキャラの幅の狭さを分かっていて、もっと視野を広げたいと思っていた矢先のことだった。

その時は、考えのひとつとして聞いておく、と答え、話を合わせたが、後になって、猛烈な怒りが沸き、とても悲しくなった。

同時に

「ああ、こうやって世間から無理やり『歳をとらされていくんだな』」とも、思った。


『コンプレックス・エイジ』という、モーニング連載中のマンガを読むたび、そのことを繰り返し思い出す。その時には流した、解決したと思っていたその言葉が未だこうして、棘のようにうずくのは、自分は、やはり、ひどく傷ついていたということなのだろう。


本編の主人公は、アニメコスプレが好きで。年齢的にも若いとは言えず、身長的にもコンプレックスがあり。それでも文字とおりコスプレに『生命を賭ける』彼女の、その痛々しさや激しさは。ただひとつ「コスプレを好きな自分を、好きでありたい」想いに貫かれている。きっと彼女は、これからも、不当に奪うもの達と戦い、満身創痍でいろんなものを喪いながらも、かけがえのないものを手に入れ、笑いながら生きていくのだろう。

振り返れば、未だ立ち止まる自分がいる。

今では何が好きだったのかも思い出せない。女の子を演じるのが好きだからTRPGをやってたのか。ダイスを振り、卓のみんなとわいわい楽しい時間を過ごすのが好きだったのか。

かすかに覚えてるのは、ガープスのオンラインセッションで『あなたはヘルプもうまいし主人公タイプにもなれるPLだよ』と誉めてくれたGMの言葉だったが、それももう、過去の話だ。

自覚している。
ああ、自分は自分に負けてるんだなと思う。
戦いも出来ず、楽しむことも出来ず。

本当に好きなれば、気にせず続けていけばいいものを。キャラを作ろうとする度に、その言葉が蘇る。

イタイとかみっともないとか、関係ない。
私は、これがとても好きなのだ。

そう言い返せる、強さが足りない。そして、いくじなしの理由を、年齢のせい、仕事のせいにしている自分も、結局、その言葉を放った存在と同じ穴の狢なのだ。

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『死んで生き返りましたれぽ』
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ひさしぶりの更新は、いわゆる『闘病レポートコミック』の感想です。

この手の分野は“お涙頂戴”“自分を切り売りしてお金儲け”云々という陰口が立ち上ることぐらいは、知っている。かくいう私も、宣伝文句に鼻白む口だ。もし、書籍から先に入ったら、その帯に踊るコピーに「ふーん」で終わっていただろう。

そうではない。
そういうものじゃない。

そう、言い切れるのは、PIVIXで先に読んだからというのが大きいだろう。

半年ぐらい前から、気がつくとPIVIXランキングでしょっちゅう見かけるようになった。自分サイト、右下あたりのデイリーランカーの表示。そっけない書き文字で『死んで生き返りましたれぽ』とあるだけの表紙を、ある日、なんとなくクリックして。

そこからはもう、一気に遡って読んだ。

だから、書籍化されると聞いた時はとても嬉しかった。webでも読んだが、やはり手元で、紙で、改めて読んで見たいと思った。


この『闘病記』の芯は、このエピソードに集約されると考えている。


倒れる前の生活の荒れ具合は、きっと「自業自得」と切り捨てることもできるだろう。

「不摂生に気をつけないとね」

このマンガを読めば、そういう感想も出てこよう。確かにそうだ。

でも、不摂生と分かって、作者はなぜ止められないのか。なぜ、『ゆるやかな自殺』を転がり落ちたのか。作者の根底にあったのは、『何もかもうまくいかない自分自身への失望』『(少なくとも)絵を描くことを失いたくない、という恐怖』の二つが、このエピソードには記されてる。

「自分で望んだ生活なのに、苦しいのはなぜだろう」
「やりたくてやってるのに、とてもつらい、でもあきらめたくない」
「なんで自分は、こんなふうにしかなれなかったんだろう」

こんな生活が良いと思っていない。しかし、変える手がかりが見つからない。その原因が、どこにあったのか。不安に追い立てられ、縋るべきでないものに縋ってしまった作者が、ここにいる。

これらの『感情』が綴られるこのエピソードは、描くにあたり病気のことよりも暗く、つらく、恥ずかしいことだっただろう。ひとコマひとコマ、とても大変だっただろう。しかし、記してくれたお陰で、自分は少なくとも共感の芯を捉えることができた。私にとって、これはとても大切なエピソードなのだ。

『恐怖』と『失望』とは、こんなにも簡単に人を追い詰め、殺していける。そしてこれらは、作者だけのものではない。形を変えつつも、多かれ少なかれ誰もが持つ影だと思っている。


この本は、その影に囚われ命を差し出した作者が、『彼女に生きていて欲しい』と願う人々により生かされた話であり。
作者の命とともに、心も『闇』から目覚め、人々との繋がりを取り戻していく話であり。
医療スタッフの、不屈の挑戦の記録でもあり。
心配停止に至り脳浮腫を患った患者が、何を感じ何を考えているかを綴った記録でもある。

最初はたどたどしい、目や唇だけのコマの連続が、意識が戻った瞬間、はっきりと人の姿となる。その表現が、『自分の認知の度合いの表現』だと気づくのに、それほど時間はかからない。
単純なで綴られた『認知できる』世界の表現は、実に豊かだ。その『豊かさ』の視点は、前半は家族、後半は作者を取り巻く医療スタッフと範囲を広げていく。医師や看護師の言葉の温かさ、その言葉の裏にある『絶対に救う』という信念を、作者を通じて触れることができる。

『物事を正確に捉える目が必要な』イラストレーターという職業柄か、第三者的な、冷静な言葉で重ねられる文章だからこそ、万感胸に迫るものがある。


PIXIVでも公開当時のままのものが読めます。「本には本の、webにはwebのよさがあるから」と、残しているそうです。もちろん、webで読んでも同じ内容ですが、書籍版には加筆修正に加え、主治医の言葉や当時の診断書、作者ご本人の脳浮腫の時のことが記されています。

■pixiv(無料で読めます。全16話)
んで生き返りましたれぽ その1 | 村上竹尾 [pixiv]

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