視聴率ばかり取り立たされる『平清盛』ですが、このような二つの記事がありまして。
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大河出演9回の津川雅彦「今の大河はヒドすぎる」と激辛苦言【津川雅彦】
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「平清盛」不人気、絶賛の玉三郎さん嘆く「世の中、皮肉」 本当の舞台裏は…
※玉三郎さんご本人のサイトは
こちら
津川さんの記事は幾分盛っている感もあるが、これが本音でしょう。ちなみに『薄桜記』主演の山本耕史は、『平清盛』で藤原頼長役で出演していますが、津川さんにはどちらでも良いことなんでしょうね(でなければ、主演を差し置いての大河批判はできないはずだし)。
津川さんは、自分達が作り上げた『大河ドラマの伝統』が穢されていると感じ、大きな拒絶感を示したように読み取れます。(彼の言う『良い脚本』とは、何本もの共演を果たすジェームズ三木のものを示している向きも伺えます)。
彼にとって大河ドラマの50年は長く古いもので、自分達で築いた故に『守らなければならない』と感じているのでしょう。彼が批判したい気持ちも分かりますが。
玉三郎さんの視点はより深く、より根幹的なものを示しているように思います。衣装や舞台の拵えに言及し、再現したスタッフの苦心に心を砕いていますね。
歌舞伎と言う大河ドラマよりはるかに長い歴史を受け継ぎ、後世に遺すため普請する玉三郎さんにとって、「『伝統』とは常に新しい試みを取り入れるもの。でなければ、あっという間に朽ちてしまうもの」と言う思想が根幹からあるのでしょう。
『平清盛』は、たかだか50年ぽっちで歴史を振りかざす老人へみせた、初々しくも荒々しい『若者の反抗』でもありました。もちろん、作り手たちは反抗の『は』の字も考えてないでしょう。ただ「新しいものを作りたい」と、その一心だったに違いなく、結果として『大河ドラマとは、こうあるべき』という常識へ、真っ向から『反抗』し、楯突いたものになっていました。
でも、ただ闇雲の反抗ではなかった。新しい解釈を取り入れ、新しい形をきちんと示し、自分の考えをきちんと述べており。
だから、歴史を作ってきたと自負する『老人』を激怒させることが出来たのかなと、思うのです。
経験と智慧に富み、人生の場数を踏む老人は、己の怒りどころも熟知しています。もし作り手が定石を踏み体裁を繕い、年上の者達の心を穏やかにさせる演出を採っていれば。老人は「アレはああいうところがイカンが、ここはいい」と生ぬるく誉めることができ、『物分りの良い先人』の体裁を整えることができたのですが。
旧時代に決しておもねらなかった『新しい試み』は、それを許さなかったのでしょうね。
その只中、当のドラマに主演していた役者さんは、何を考えどう行動したか。その一端が、京本政樹さんのインタビューから伺えます。
『平清盛』で、藤原秀衡役を演じた京本政樹さんは、『スタジオパークからこんにちは』でゲスト出演した時に、こう語っていました(記憶なので発言内容に間違いがあるかもしれませんが、大筋でこのようなことを言っていたと思います)。
「僕は『必殺』の印象が強いけど、実は昔から時代劇に出ていた。大川橋蔵さんが自分にとって時代劇の先生であり、大川さんにいろいろ教えていただいた」
「秀衡役で『アイラインが!』と騒がれたが、あれは『眼張り』で、大川さんから教わったもののひとつ。『毛利元就』吉川興経役でも全く同じ眼張りを入れている」
「しかしハイビジョンだと『黒』が『浮いて』みえてしまう。技術革新で、昔と同じメイクでは今の時代に合わない。今回の撮影でそれが分かり、その後、人物造形の柘植さんやメイクの方たちと相談しながら模索し、『目張り』の方法を変えている」
「時代劇にとって、やっぱり所作は大切。だから僕がスタッフや若い役者さんに伝えて行きたい。僕の話を『清盛』のスタッフは大喜びで聞いてくれ、積極的に撮影に取り入れている。神木君もすごく興味を持ってくれる」
否応無く、時代は変わっていきます。『古きよき』伝統と『新しき』革新は、一見して折り合いはつきません。しかし、ぶつかり合い、お互いを『食べあう』ことで、交じり合い合わせあい、やがて残るものは残り、淘汰されるものは消えていくもの。
そうして形になったものだけが、『時代』を作ることができるのでしょう。
『平清盛』もまた、雅な平安京の時代の終焉と、猛々しい武士の世への移り変わりの、せめぎあいの物語であり。二人のベテラン俳優が示した正反対の評価は、『平清盛』と言うドラマの本質でもあると思うのです。
玉三郎さんがNHK『平清盛』サイトへ寄せたコメント
全てが本物。最後まで真剣に見守りたい
NHK『大河ドラマ50』