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#カーネーション 僕たちが、(尾野真千子に)恋をした理由〜感想まとめ
理由と言われても、そんなものなんて無い。

だって、とても美しかったじゃないか。
巻き舌岸和田弁も、舌打ちも、怒鳴り声も。
ミシンに向かう姿も、子供達をどやす姿も、手酌で晩酌する姿さえも。

こんなに生命力に満ちたヒロインを、誰も見たこと無いのだから。

綺麗でかわいいヒロインはたくさんいた。
お嫁さんにしたいヒロイン、妹にしたいヒロイン、けなげに頑張るヒロイン。
朝という時間にふさわしい、爽やかという役割を担ってきた。

だけど、彼女は格が違った。違いすぎた。
あまりにも生々しく、エロスさえ帯びる濃密な存在感を放っていた。

誰もが忙しいはずの朝。
ニュースもバラエティも仕事や学業への身支度に勝てないはずなのに。
彼女は、そこから貴重な15分を盗んだ時間泥棒だった。

あの15分。

小原糸子を演じる尾野真千子に恋をしたのか。
尾野真千子が演じる小原糸子に恋をしたのか。

きっと、両方なのだろう。



↑タイトルのネタ歌。


以下、感想の総括です。気が向いたら足したり削ったりするかもしれません
↓↓↓↓
「おはようございます、死にました」

この台詞と、一人の老婆が朝ドラの始まりを見るシーンをもって
『カーネーション』は新たな始まりを向かえ、物語の円環を閉じた。

人一人の人生を描くということは、実に大きなテーマだった。





蛇足と言われた夏木マリの老境編だったが、終わってみれば、やはり必要なものであり、むしろこれが無ければ『カーネーション』は『カーネーション』足りえなかった。

夏木さんは、尾野真千子と違う。
流暢な岸和田弁ではない。生命力溢れる演技ではない。
なにより、2月以前の記憶が連動しない。
まさにアウェーの中で孤立奮闘する中、何度も胸を突くシーンがあった。

奈津が死んだのではないかと狼狽する横顔。
孫の里香をいつくしむ横顔。
写真に話しかけ、押し寄せる孤独に耐える横顔。
加奈子のプロフィールが読めず、嗚咽をこらえる横顔。

そして、周防の娘と邂逅し『輝かしい成功者』の“金箔”が剥がされ、みるみるしぼんで少女のように泣き出した瞬間。

表情。
彼女の表情が全てを凌駕し、『小原糸子』という人間の晩年を作り上げていく様は圧倒的だった。

『ああ、岸和田弁とか、そんなものは実は瑣末なことでしかないのだ』と、何度も揺さぶられ、突きつけられた。

そしてあのラストシーン。
二人の糸子の歌と、クレジットのトリに刻まれた『小原糸子 尾野真千子』の文字に、全てが昇華されていった。

三人の糸子は一人の人間に統合され、感動を分かち合った人々の記憶の中で、永遠に生き続けるのだ。





それにしても。

まさに「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」

攻めに攻めた構成で築き上げられた2340時間。
朝ドラ至上最高傑作かどうかは知らないが、ひとつの『伝説』を作ったことは確かだろう。

振り返れば、こんなに批判され続けた朝ドラもなかった。

やれ椎名林檎の歌は朝に合わない、やれ洋装屋なのに着物でいるのはおかしい、やれ朝から不倫とか非常識だ、やれ岸和田弁が下品、やれ朝っぱらからぎゃあぎゃあ喧嘩してウルサイとか。最後はファンをも敵に回した。大きなバッシング、「交代劇に裏があるんだろう」という下種の勘ぐりを受けてでも、わが道を貫き通した。

見せたいものがある。
最後まで観た人にだけ分かるテーマがある。

つまり、そういうシンプルなことだったのだ。





確かに、老境編の脇役はそれほど濃いものではなかった。むしろ薄くて物足りない感じでもある。それが、「つまらない」と評された理由のひとつでもあるだろうが。

でも逆に、「それが老いることの現実である」と思えば、納得の配置だった。気がつくと、誰もが年下になる。自分自身が目上になる。親や先輩といった存在はとうに逝き、肩を並べて張り合えるものはごくわずか。

あの年で、お父ちゃんやお母ちゃんのような『糸子を引っ張る存在』がいれば、それは逆に嘘になる。

年を取る、というのは、長年連れ添った同志を失うことでもある。それこそ北村は言うところの「失うものを数え続けるばかり」なのだ。

いやでも、たった一人で周囲を引っ張り、叱咤する役割をこなさなければならない。あの薄さは、糸子が選んだ孤独でもあるのだ。

同時に、あの薄さを受け止め愛することこそ、糸子の幸せでもあると思う。

人は成長し続けることを是とする。成長が歓迎されるのは、いつまでも上昇できるからだ。それは叱ってくれる人がいることでもあり、自らの未熟さを知る立場にいられる。

成長とは、言い方を変えれば、いつまでも子供のままでいられることでもある。

老境編の糸子はとうに成長を終え、大人の役割を果たしていた。自分の経験を他者に伝え、社会に循環させること。成長を終えた大人でも、この役割を果たせる人はなかなかいない。

『若さと成長』の勢いを是とする今のドラマ創りの中で、オノマチ糸子編が面白いのは、ある意味当たり前。

時代と共に疾走し続けた糸子が、真に生きるために何が必要だったのか。退屈なものと受け止められがちな、ゆるやかな『大人の叡智を与える』役割を描くことは、人ひとりの一生で何を与え、何を失ったかを問うに不可欠な時間だったと、改めて思う。




最近になって、分かったことのひとつが、「『伏線回収』とは、麻薬である」こと。

小さな語り忘れが後の展開で現れると、「ああ、あのエピソードがこれに繋がるのか!」と快感を伴う喜びになる。それが何重にも繰り返されると、物語に厚みが出る、それがまた気持ち良さを与えてくれる。

しかし、自ら『伏線』を探すうち、その物語が本当に語りたいテーマや、ストーリーの本質を見失ってしまう。見えなくなった不安を埋めるように、さらに『伏線』と言う眼前の枝葉にすがり、快感をむさぼってしまう。

やがて、自分の都合の良い『伏線』を見出し、それが描かれなければ、自分の望む快感が得られない=つまらない、駄作の烙印を押し気味になってしまう。

観る者は、常に狭量で不安だ。
目の前の物語を本当に信じて良いのか。
心を乗せてよいのか。

だから、語られなかった「気がかり」を許すことが出来ない。
「ただの気がかり」として放置することが出来ない。
「何か意味があるんじゃないか、後に語られるんじゃないか」と、ついすがってしまう。
テーマを語るうえでの技術のひとつでしかない『伏線回収』に、過剰に頼ってしまう。
これは観る者の弱さなんだと思う。

どのエピソードを伏線とし、回収するか。
それはあくまで製作と脚本が決めること。その前提を忘れてはならない。

その上で、『カーネーション』を振りかえると、語られる全てが回収されていないことに気づく。しかし、その抜けが逆に『風通しの良さ』になっているのも事実だ。それだけ、映像から与えられる余韻は、濃密なものだったのだろう。

緻密に練られているようで、抜けがある。回収されなかったエピソードが、自らの想像力でカバーできる。さらりと書いたが、生半に出来るものではない。作り手もまた、観る者に語り尽くしたいという欲があるのだから。

語りすぎると重くなる。語らなければ、スカスカになる。『カーネーション』は、その匙加減が絶妙だったと言わざるを得ないだろう。

まったくもって、舌を巻くしかない。



そう、確かに素晴らしいドラマだった。
泣いて笑って、突き動かされて。

言葉にできない、心の奥底にある感情を大きく揺さぶられた。

日本の服飾史を見せてくれた。
大正から昭和のノスタルジーにも浸らせてくれた。
一人の人間の、綺麗なところも汚い部分も包み隠さず見せきった。

小原糸子は、完全無欠なヒロインではなく。
好きなことに生き、92年間を必死で生き抜いた、ひとりの人間だった。

素晴らしいドラマをありがとう。
役者の皆さんにも、スタッフの皆さんにも、心から感謝しています

ありがとう。
ありがとう。





その上で、どうしてもいいたいことがひとつだけ。

私達の恋した尾野真千子さんを、もう一度甦らせてほしい、と。

勝と結婚し、子供を三人もうけた糸子が。
どうしても周防さんへの想いを断ち切れなかったように。
そう望む自分がいるのも確か。

渡辺あやさん脚本で、尾野真千子さん主演のドラマを
今一度観てみたい。

ただし、望む側も注意が必要で。
「『カーネーション』の糸子の復活」で望むのか。
全く新しい「渡辺×尾野」像を望むのか。

この辺りを明確にしなければなりません。

私は『カーネーション』で完全燃焼して、案外未練もないので。
糸子スピンオフはいらないな。

どうせなら未来に繋げたい。

糸子の恋とは、まったく別なものになるだろうけど。
もう一度、あの濃密な時間を過ごせるのであれば。

だから、
より新しいドラマで、じっくり付き合いたいと願う。

15分よりもっと長く。
半年よりもっと長く。

うん、大河ドラマあたりいいんじゃないかな?

追記:20120405
大河ドラマと書いた後、ふと気づいて時間を計算してみたら45分×50回で2250時間…
朝ドラ(15分×6日×26週=2340時間)より短い!?Σ(゚Д゚;)
毎日じわじわボディブローを食らうか、
週一で強烈なカウンターをもらうか、という話ですね分かりま(r

それでも、一年を通してドラマを観る機会はまずありませんし。
2250時間でどんな物語を紡いでくれるのかには、とても興味があります。
時代考証や歴史の解釈などで、朝ドラ以上に大変だと思いますが、
やはり観てみたいと思うのであります。









| comments(2) | trackbacks(0) | by LINTS
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コメント
「カーネーション」大好きでした。
それだけに夏木さんに交代してからのバッシングはつらかった。たしかに3/3以前とは違ってしまったけれど、やはりその「薄い感じ」にも意味があるように感じていたから。
こちらの記事を読んで、「そうそう」と納得できました。
本当に、すばらしい半年間でした。
| シーナ | 2012/04/05 12:47 PM |
シーナさん>
夏木さんに交代した時の気持ちを考えると
「僕達の恋人を返して!」
に近いものがあるかもしれません。
3月3日のあの日が、
過剰なまでに甘く切ない拵えになっているから
余計にショックも大きかったでしょうね。

心を乗せきれない反動が
夏木さん及び製作スタッフへの批判に向かうことは
容易に考えられます。
それを受けての3月ですから、作り手は並々ならない覚悟があったかと。
よく結果をだしたなあ、と素直に思います。
| LINTS@管理人 | 2012/04/05 1:19 PM |
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