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『輪るピングドラム』
B005FTUX4Y輪るピングドラム 3(期間限定版) [Blu-ray]幾原邦彦 キングレコード 2011-12-21by G-Tools

ニコ動無料放送で観ました。

正直、何度も脱落しそうになりましたはっはっは! あまりにも、あまりにもぶっ飛びすぎて振り落とされること数え切れず。この私がですよ!

それでも観続けたのは、何かひっかかりを感じてたのかもしれないなあ。うすーい氷を積み重ねるように、繊細な、言葉では簡単に説明できないものを大切に積み上げてる感じがしてね。

冠葉も晶馬も苹果もタブキもゆりも真砂子も、大切なものを取り戻すために、必死で戦い続けてた。狂気じみた行動も、とことん本気だったと思えばこそのもの。その必死さが痛々しく胸に迫ってくる訳で。

結果。観続けて正解。
ピングドラムは、『無償の愛と生命の物語』でした。

ラスト数話は泣けて泣けて。最終回15分の破壊力まじパネエ。

まともに表現したらどうしようもない、救いようのない悲劇にしかならないところなのに、よくぞあの着地点へ持ってったなあと。見た目ぶっ飛んでいる表現も、とことん主観で描くと「まあ、ああなっても別にいいかな」になる不思議。『本当に本当に不幸のどん底に陥ったら、笑うしかない』に通じるものがあるなあ。

まさしく『考えるな、感じろ!』のアニメ。
もっとも、『考えるな、感じろ!』の物語を他人に伝えるためには、それこそ緻密な理論と手法と、なにより確固たる信念がなければ出来ない訳で。

誰にでも勧められる話ではない、というのも納得。

デスヨネー。

ああでも、言葉にばかり頼っていると、説明できないものをおろそかにしがちだけど、本当は、この世界は言葉に出来るものなんてほんの一部で、言葉に出来ないものばかりで創られてて、『言葉に出来ない』から、おろそかにしていい理屈には決してならないんだと思い至るのです。

あの『蠍の火』は、あのリンゴは、誰もが持っているのだから。それが出来れば、誰もが運命の乗換えが出来るのだから。


ピングドラムは、考察サイト読むのが楽しいですね。こういうアニメもあっていいと思うよ!

考察にもならないけど、観ながらずっと思ってたのをひとつ投下。桃果のことです。ネタバレになるんで、下の方に置いておくよ。




↓↓↓↓
『桃果(ももか)』と聞いて最初に連想したのはカムイ外伝『百日童(ももかわらし)』。このお話の中に『百日塚』というものが出てくる。「生まれて百日以内で死んでしまった子供の魂を弔うために作られるといういわれ。

もうひとつ連想したのが『お食い初め』、別名『百日(ももか)祝い』。『歯固め』ともいうこのお祝いは、いわずもがな赤ん坊の前にご馳走を並べ、食べることに困らないようにと願う儀式。乳歯が生えだし離乳時期にも重なるからくるものだけど。

前者は生きられなかった子供の話で、後者は生き延び祝福された子供の儀式。

医療が発達していなかった昔、新生児はとても死にやすく。その中で、『百日』はひとつの節目だった。百日祝いは、子供が生き延びたことを祝う儀式でもあるわけで。

もっと突っ込んで考えると、『食べることに困らない』ことを祝って良い=社会に出て一人前の大人になれる、最初の目処がついたということにもなる。つまり、子供は生命的にも社会的にも生きることを許され、大人にその存在が認められた、ということになる。

ピングドラム流にいえば、『透明な存在』でなくなった、最初の通過点。

アニメを観ながらこの二つを思い出し、『百日』は生と死の分岐点だなとふにふに考えたものです。

つまり、桃果は『生き延びた子供』『愛された子供』の象徴であり。同時に『大人になるために必要な、心の食べ物の在り処』=愛を示す存在でもあるんじゃないかなあ。

サネトシが呪いを示すメタファーなら、桃果は愛を示すメタファー。
だから苹果の姉で、サネトシと対の存在であり、運命の乗り換える呪文を知っていた…なんてね。

うだうだと考えてしまいます。
子供の姿であるけど、あの物語の中では一番『大人』だったなあ。
| comments(0) | trackbacks(0) | by LINTS
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