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#あさが来た 『五代友厚』というキャラの役割のこと

この半年、頭の先までどっぷり漬かってしまった連続テレビ小説『あさが来た』。朝ドラ初の幕末開始。元々時代劇好きな身としては楽しみにしない理由はなく、本放送開始後も軽快で楽しいホームドラマで一日4回視聴、4/2に無事に完走完了です。

何があっても絶対にぶれない『あさと新次郎』『あさとはつ』の物語。時に容赦なくぶっこんでくる笑いも、心の底から湧き出る悲しさも、叶わない夢を手放すほろ苦さも。架空の登場人物達なのに、本当に存在するように感じられて。いやあ、楽しかったー。

で。終了の余韻の中でドラマ中に考えていたこと、思っていたことをぼちぼちまとめておこうかなーと、もさもさ綴る次第です。

という事で、脳内でずっと漂ってた『五代友厚』について、ちょっとまとめておこうかと。と言っても萌え話でもなければ、歴史に関係する薀蓄でもありません。『あさが来た』という物語においての『役割』のことをつらつらと。


これは製作者、脚本家の意図や狙いとは別に、私個人の妄想です。歴史のことはあまり分からず(『払い下げ事件』はこのドラマで初めて知ったクチ)、作劇のこともよく分からないのですが、あくまで「こんなこと考えてるのかふーん」レベルで読み流していただければ幸いです。






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登場人物のほとんどが、モデルからその名と設定を変えて用いられるのに対し、一人実名のままで主人公と深い関わりを持つキャラクター、『五代友厚』。公式では『薩摩出身、大坂経済の復興に尽力する、あさの師』とされ、基本的にその立ち位置で描かれています。

『あさが来た』のコンセプトのひとつは『五代友厚の掘り起こし』。これは公式サイトで放送前にはっきり提示されていたので、「だから彼だけが実名で登場するのだと」理解していました。

ドラマが始まると、ディーン・フジオカさんご本人の魅力と、時に英語を含んだ、ちょっとどこか外れた言い回しが相まって大変な人気になりまして。かく言う私もその一人。最初は「お前ww何言ってるんだww」と笑っていたのに、あのクリスマスの抱擁シーンと前髪で一瞬で陥落。五代さん退場の日は、仕事を早退して(早朝勤務なもので)本放送に間に合うよう帰るほどで、我ながらびっくりでございました。ううむ、恐るべしBK!





さて、その熱意と感情とは別に。ドラマを観てる間、彼のこの『物語』での役割を考えておりまして。ストーリーというものが人の意思で作られている以上、全ての登場人物は作り手の意図と願いを篭められているもの(もちろん、登場人物の個性も『生きており』、作り手の都合だけで動かすことはできませんが)。

五代さんの役割って何かなあ。主人公を導くにあたり、何を篭めて作られたのかなと自分なりに考えておりましたが、最初は『歴史における良心と善意の象徴』『大阪近代経済の具現化』二つ、さらに『文化英雄』を追加しておりました。





一つ目は『歴史における良心と善意の象徴』。文字通りの意味で、連綿とした人々の営み、決断と実行の積み重ねの流れの中で、『その決断が日本の未来をよりよくするものであって欲しい、過去から積み重ねられた知識を知恵とし、磨き高め、後世へと還元して欲しい』願いそのものと解釈。

歴史に刻まれ続けた失敗・愚行を学んだ上で、自らが見定める高みを指標とすること。素質ある人材に適切な言動を与え続け導く存在。本編で最も担うこととなった役割ですね。

ドラマ中の五代は、トンチキなことも言いますが(笑)、仕事においては真面目にあさへ経営・思想において助言を行います。店を富まして金を儲けることは『悪』ではない。大切なのは金と言う『力』を使うための心の有りよう。そして真に富み栄える為、後世に何を残せるのか。五代の台詞はまさしく『言霊』そのもので、退場後も大きな影響を与え続け続けたのは、最後までドラマを観た方ならお分かりだと思います。

また、『歴史』は『あさが来た』内で根底に流れる不可欠要素であり、登場人物も制作陣も決して逆らうことのできない事実。でも焦点を当てすぎると、主人公サイドのピントがぼけてしまう。彼の存在は、この『歴史』という壮大な時間の流れを常に意識させる『軸』としての役割も担っていました(この部分は大久保利通も対で担ってくれましたな)。なので、前半は特に『歴史』とのリンク間が強く感じられ、大きな時代の流れの中に生きている、という実感が持てていたように思います。





ふたつめ、『近代大坂経済の具現化』。擬人化というかメンタルモデルというか。まあ表現が適切かどうか分かりませんが(笑)。これも『歴史』と同じようなもので、「『あさが来た』の舞台が大坂である」と密接にリンクしています。『歴史』よりも主人公に近しい背景、あさが実業家として動くために必要な『土台』。ただ、こちらも焦点を当てすぎると、物語が『経済寄り』となり。『あさと新次郎の物語』のピントがぼけ、全体の印象が散漫になってしまう。

『五代友厚』という存在が、『近代大坂経済のメンタルモデル』を引き受けることはとても重要で。彼が大坂経済復興に大きな貢献を果たした『事実』は、あさへの影響を与えるための説得力になると同時に、主人公サイドでの『大坂経済』の説明を全て行う必要が無くなり、描写の負担を減らす意味合いもかねている、と考えます。


で、『歴史』と『経済』この二つは上記にも書いた通り『背景』ですが、もっと深い意味を帯びているというか。

よくあるファンタジー設定で喩えると、「力を持つ異世界の存在が、多くの人間の中から一人に興味を持ち、少しずつ接触を図る。その過程で、周囲の人々に自ら持つ知恵を与え、良き自立ができるよう導いていく。やがて対象との交わりが少しずつ深くなり、精神的に完全に同化した時、今度は自らの力を託し、消え去っていく」というパターンですか。

一人の人間の素質を見抜き、興味を引かれ、交流を持ち、磨き、力をつけ、少しずつ自分の立ち位置へと引き上げていく務め。指し示す方向は確固たる善であり正であること。他者を生かすことを自己の歓びとするもの。己自身も力の探求者であると同時に教育者であること。

五代友厚自身が短命と知り、ドラマの途中で退場すると予測できたので、たぶんこんな流れになるんだろうなーと、うっすら考えていましたが。


そこに、実際ドラマが始まって追加したのが三つ目の役割、『文化英雄(トリックスター)』。



『境界』を越え秩序を引っ掻き回し、その結果良いものをもたらす存在。旧世界(徳川の御世)を破壊すると同時に、新世界(明治の御世)の創立に尽力した点も当てはまるかなと。

あさと一心同体であるが故か、新次郎にも大きく影響を与えたのは面白く…まあ、そりゃ自分の奥さんにちょっかいかけてくる訳だから、心穏やかでいられるはずはないんですが(笑)。

並みのドラマなら、ドロドロで深刻な展開にも持っていけるそれを、『あさが来た』では、「自分に無いものが相手にあると自覚している。だから表面上は反目しても、心のどこかで信頼している」とし。
いつしか親友と呼び合う仲になり、最期は「あさを外から(社会的な)支えになって欲しい」と託す間柄となったのは予想外でありつつも、とても嬉しかったなあ。

しかし、ドラマ中の『残念なイケメン』ぶりといい、トンチキというかポンツクというか(笑)。個人的に「こんなにはまったトリックスターも珍しい」と思うことしきり。ディーンさんの浮世離れした魅力も相まって、朝ドラクラスタから「妖精」のニックネームがついたのも面白いところ。そして、あさもまた『境界を越え秩序を変える』役割を担うからこそ、呼び合ったのかもしれません。



さて、物語に登場する人物は、『情報の圧縮した姿』でもあり。モブであってもその世界を構築する大切な一片。メインとなれば重要性は飛躍的。五代友厚にも、退場時、当然その役割が与えられるだろうと考えていました。しかも中途退場となれば、相応の重きをおかれるだろうと。

ひとつは、主人公の成長の成果を結実させること。
ひとつは、自らが背負う『大坂』及び『歴史』をクローズアップさせ、主人公の生きる世情を浮き彫りにさせること。

『主人公の成長の成果』を見せるに一番手っ取り早い手段は、『危機に陥る師匠を救う弟子』展開。その舞台は、歴史に名を残した『五代友厚』に関与するもの。五代が象徴する『大坂』『経済』にリンクするもので、主人公と無関係でないことだろうなーと思っていました。

それが件の「払い下げ事件」を扱った第15週『大坂の大恩人』にかかる訳で…。




この週は、ある意味『主人公』から最も遠い背景部分に焦点を当てています。故にメインストーリーの足踏み感はあるかもしれません。しかし、主人公あさが『師』に対し、師を庇えるだけの成長を示し、今後の展開で用意されている『銀行経営』『女子大学設立』を行うに足る力を得たと証明するためにも必要だったと考える次第。

また、主人公のあさだけでなく、榮三郎の当主としての貫禄、新次郎のずば抜けた(そして決してひけらかさない)人心掌握術を見せつけることで、『加野屋』そのものが、両替商から銀行へ転身するにふさわしい『人の力』があることを大きく印象付ける結果となった点も重要。

ここでの新次郎の振る舞いが、後に加野商店社長の推挙のきっかけになった点も、うまく繋がっているところ。

あさの商売の目的が(もちろん自分が好きである点も踏まえ)『お家を守る=加野屋を守る』が発端である上、正吉の遺言『みんなで加野屋の暖簾を守れ』を受け継いでいるのですから、あさ一人が突出しても意味がなく。

あさだけでなく、榮三郎、新次郎の三人の成長を描くための、人を熟成させる時間が必要だったとも言えるのかなと。


翌第16週『道を照らす人』で五代は死別という形で退場しますが、命と引き換えに与えた『鍵』は、その後政界、財界の人脈を生み出し。さらに『ファーストペンギン』『自転車』『砂時計』に姿を変え存在を感じさせ。
あさと新次郎の心の片隅にともり続ける、消えない灯火として存在し続け…まあ、新ちゃんから見れば、時に複雑な心境に陥る場合もあったようですが、ねえ(笑)。





実際『あさが来た』はシンプルなストーリーながら、「あさと新次郎」「あさとはつ」を中心に複雑な入れ子構造で物語が展開され、登場人物が立体的に造形されていた点が面白さのひとつでもあり。

その、入れ子構造を構成するひとつが『五代友厚』だったのだなあと思うのです。


五代さんの功績は調べれば調べるほど偉大すぎて、「これまともに取り上げたら、朝ドラじゃ収まらないし五代さんがあささん食っちゃうし、そもそもいくら豪商の嫁とはいえ、あささん軽々しく口を利いちゃいけない存在や…」と思ってしまう訳で。

となれば、「こんなことしたんだ、こんなに偉い人なんだ」とするより、具体的な功績を思い切りぼかし、彼が偉業を成し遂げるにあたり支えとした思想や思考を、主人公に授ける存在に改変した方が良い、としたのかなと。

製作側の「歴史に埋もれた上、悪徳商人のレッテルを張られた存在だった『五代友厚』を、『世間一般に』『好意を持って』『認知させたい』」意図を果たすためにも、観る側にも受け入れやすい人物像にしなければならない訳で。


…ほんとうに、返す返す大冒険だったなと。一歩間違えれば、フィーチャーどころか黒歴史扱いで封印されていたかもしれないのに。ディーンさんの魅力が大きな助けになったのもありますが、脚本も演出も、観る側へ受け入れられるよう、周到に準備を整えていたのだと改めて思います。

その結果は、今更申し上げることもないでしょう。



ここに書いたことについて、制作側がそれを狙ったとはもちろん思ってません。こちらが勝手に妄想しているだけです。

ただ、史実を反映しつつあさ来たアレンジがなされた『五代さんが純粋に面白くて大好きだったこと。

何より、近代大阪にこんな歴史があったこと。明治維新という時代の陰で、大阪経済がどれほどの疲弊を強いられたか。その大阪経済を立て直し、大阪を救ったひとりの薩摩藩士が存在したこと知ることができたのは、とても有意義なものでした。

本当に、「おおきに、五代さん」なのです。


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