アニメ本編も映画前半もまとめきってないのに、いきなり後半の感想です。
結論から言えば、原作のシーンをうまく使いながら、オリジナル展開できれいにまとめた優秀作。観た直後はまとまりすぎて感想が思いつかなかったぐらい、きれいすぎましたが(笑)、2時間で全ての決着をつけるとしたら『ここに落とすしかないよね』って感じ。ほぼ100点。難を言えば、艦隊戦がすごすぎて何やってるか一回だけじゃ解らないぐらいw
何度も観に行ったらきっと解るぜこれ。というか、大画面大音量で観ようぜー!
でも、タカオの『アレ』が持ってっちゃうんだよな! ひどいぜ!ww
以下、がっつりネタバレあります。
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しかしまあ、よく2時間に収めましたな。原作とは別物としつつも、原作の設定を上手に使い、「原作とアニメ、両方楽しめる」が無理なく言えるのはすごく嬉しいです。
映画にしろアニメにしろ、出来の悪い映像化作品を「アニメはアニメ、原作は原作と割り切ってみればいい」と言われます。正論と認める半面、正直「なぜそんな言い訳して、自分を誤魔化さなきゃならんのか」と思ってしまうのも事実で。こと、中途半端に出来の悪いアニメや映画になると、「人様の原作を使って何やってんだよ」と忸怩たる思いをする訳で。
その点、『アルペジオ』はTV版から出来がすこぶるよく、「これはこれ、それはそれ」と納得して言える自分がいます。もちろん不満がないと言えば嘘ですが、それをはるかに凌駕する驚きと満足感が満載なので文句ありません。スタッフの皆様には何度でも感謝を述べる所存です。
『Cadenza』は、TVシリーズの決着をつけるべく作成された映画で、実際その通りになりました。それにしても、『イオナ=ヤマトのバックアップシステム』だったとは。原作でもイオナは“スペシャル”な存在であることを匂わせていますが、アニメでは「そうきたかー」と。
イオナの中で眠り続けるヤマトの願いが『命令』となり、行動原理となる。TV版からの謎が一本の柱になり、ラストに繋がった展開はうまいと思いました。同時に、「TV版は『儚げで内向的、芯の強い女の子』な性格」の効果で、ヤマトが目覚めた後、自分は消えてしまうことに思い悩むことに何の不自然も感じませんでした。TV版が『メンタルモデルの感情の芽生えと意思の発露』をテーマとした勝利ですな。
同時に『Cadenza』は戦闘がこれでもかこれでもか状態。まさにお祭り! 冒頭のヤマトVSムサシ、401vsアシガラとナチ、ベーリング海峡戦、ラストバトルとほぼ半分は戦闘。TV版の不満のひとつだった「艦隊戦シーンをがっつり」は叶いましたが、ほら霧ですから。人類の予測をはるかに超えた武器がわんさわんさとwww とどめはドリルww ひでええww おなかいっぱいですありがとうございますありがとうございます。
あと、力を失ったイオナをサポートする401クルーにもちゃんとスポットが当たって良かった。霧メインになるとどうしても人間は脇に回らざるを得ないから仕方ないとはいえ、401はクルーあっての401。やはり嬉しいですねー。
■千早群像■
『人類の裏切り者の息子』として迫害を受けてきた過去から、人類への恨みを募らせても良かったのに。彼は最初から絶望していなかった。ただ「この世界に風穴を開けたい」と願い、動く。まだティーンエイジャーなのに、完璧な艦長であろうと努力し続けたのは父の遺産なのだろう(アニメでは語られなかったけど)。その彼が、少年に戻れたのは、父の汚名が晴れた時。彼の目的が果たされた瞬間『力』を失うが、群像にとってイオナは、もうただの潜水艦のメンタルモデルではなかったのだろう。ラストシーン、振り向いた時に驚かなかったのは、生還を信じていたからだろうな。共に歩むパートナーとして
■イオナ(伊401)■
ヤマトのバックアップという真実にゆれるのは、人間の情を学んだから。群像に嘘をついても身体はごまかせない。彼女が霧の力を失ったのはムサシに何かされたのではなく、自ら心を閉じてしまったから。「自分が消え行く恐怖」=『死の概念』。かつて、姉妹に対して向けられた悲しみ。それが自分に向くと恐怖になるのか。メンタルモデルを持たなければ知りえなかった感情。だからこそ、乗り越えることに意味がある。彼女を助けたのは、群像ではなくコンゴウなのがまた泣かせる。
■恭平、いおり、僧、静■
頼れる401クルー。彼らなくして群像もイオナもここまで辿りつけなかった。今回はそれぞれ見せ場があって嬉しい。ムードメーカーで笑わせ担当の恭平、イオナと群像のデートを画策するいおり、副艦長としての務めを果たす僧、お風呂担当(笑)の静。全てが終わった後、元クラスメート達も別々の道を歩むのだろうかねえ。
■タカオとヒュウガ■
なんだかんだでこの凸凹コンビ好きだなあww タカオさん今回は制服メガネを披露した上、まさかの艦復活。やっぱり艦があっての艦隊戦だよな! でもドリルはwww ドリルはひでええwwww ヒュウガさんあんまりだwww 乙女の身体にそれはないよww
硫黄島半分のナノマテリアル使ってまでタカオの船体を復元したのに、ヒュウガはしなかった。その理由はある意味人間くさいもの。イオナラブだけど、ヒュウガにとって自分にできることは正面きっての戦いではなくサポートと割り切ってるのもそこにあるのかなあ。
■蒔絵とハルハルとキリクマ■
もうね、コンゴウ型三番艦が人間だったことのこと、忘れちゃったよ…(遠い目)。こっちも船体復元して駆けつけてくれた時は燃えた! めっちゃ燃えた! クラインフィールドをグリッド展開して401を助ける蒔絵、まじ頭いい。出番は少しだったけど、すごくかっこよかったわ。蒔絵を「艦長」と認識するハルハルに「ああ、彼女達の本質は『艦』なのね」と思ったり。最後のアドミラリティ・コードの後、『艦』を捨てられない霧はどうなるのかなと、ちょっと考える。
■コンゴウ■
おいしいわーすげえおいしいわー。出た瞬間映画館で「きたあああああ!」って叫んじゃったヨ! 新しい髪形、新しいドレスもばっちり、ラスボス感満載。そして末妹に仕掛けた攻撃が「かみつき」である…かつてのコンゴウでは、考えられんよな…そりゃあヒエイだって「はしたない」って動揺するじゃんよ。
概念伝達ルームでの、イオナとの会話は。コンゴウでなければならなかった。彼女が自らお茶を淹れ、差し出すその意味。「いなくなっても、いる」その真意。迷うイオナを導けるのは、彼女にしか出来ない役目だった訳で。話すことで、コンゴウ自身も本当に救われたんだなって。
かつての友人のことは一言も話さず、そのかわりピアノをなでる指先が全て。こんな粋な演出でマヤを語ってくれるとは。すべてTV版展開をきっちり踏まえてくれたこと、本当に感謝感謝です。
■ミョウコウ型四姉妹■
諜報のナチ、切り込みのアシガラ、撹乱のハグロ、とどめのミョウコウ。超重力砲と引き換えに得た『個性』が、性格の違いをもくっきり。まあ、アシガラは最初から何も考えてないけどw
個人的には原作ではあっという間に沈んでしまったハグロ大活躍が嬉しいところ。鬱憤を晴らすべく実にえげつないw 文字通り戦場をひっかきまわす様は、アシガラよりも怖いかもしれんw
アシガラは…とりあえず落ち着けww 原作の「ぷかああ、ばちゃばちゃ」が再現されてて歓喜。何だかんだでタカオとは気が合いそうな気がします。
ナチは…うん、濡れ制服スカート絞りですね、うん(真顔)。あと地獄耳。一見地味だけど、あれでずいぶん苦しめられましたからねえ。諜報大切!
ミョウコウのロングレンジ砲は原作そのまま。一番真面目だけど切れたら怖いタイプっぽい…いや、他が目立っただけというねw
彼女たちはあの後、何だかんだで『意思を持ったメンタルモデル』としてうまくやっていけそうな気がする。ヒエイの傍に従いつつね。
■ヒエイ■
コンゴウという指針を失った迷える生徒会長。だから、ヤンデレムサシの唱える「幸せ」にすがるしかなかったのかな。メンタルモデルの『幸せ』とは何か。アドミラリティ・コードに従えば良かった昔と違い、自我を持った以上自立するしかない。これはTV版でもあった台詞「『我々は武器だった』ではなく『我々はどうあるべきか』」にも繋がる。そんな訳で、ダイナミック姉妹喧嘩・大戦艦編のヒエイのパラダイムシフトは、お姉ちゃんにして『先輩』であるコンゴウにしかできなかったのだろうな。
■ムサシとヤマト、千早翔像■
『翔像=ムサシの作ったダミー』説は、原作によるもの。こちらではまだ可能性のひとつにすぎないところを、アニメではひとつの結末として持ってきた。
パンフレットにあったとおり「絶望して暴走した妹と、それを叱れなかったお姉ちゃん」のお話。ダイナミック姉妹喧嘩・超戦艦編。そのあおりを食らって人類は滅亡しかけたというのか…。霧こえええ。
ムサシの回想が教えてくれたこと、それこそが全ての始まり。戦術・戦略の概念を持たない霧の艦隊が初めて人間の叡智に触れ、対話を試みるために作り出したのが『メンタルモデル』。その席に着いたのが千早翔像だったというもの。
メンタルモデル達の、あの概念伝達ルーム。なぜ『お茶会』だったのか。ヤマトと翔像の会談のシーンがそれを示してくれます。
『対話可能な存在なら、共存の道はある』
翔像の理想は、しかし霧によって全てを奪われた人々の前では机上の空論でしかなく。
恨みという負の感情を前に、ヤマトはそれでも人類への希望を選び、ムサシは人類に絶望する。暴走したムサシを、ヤマトが叱れなかったのは、彼女もまたムサシの悲しみを理解したからか。「お人形遊びはもう飽きた」。だから本物に会いたい。ムサシもまた、叱ってくれる『お姉ちゃん』に会いたかっただけだったのだろう。
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姉妹喧嘩の決着はつき、ひとまずの人類滅亡の危機は去ったものの、結局、霧は何なのか、どこから来たのか、そもそもアドミラリティ・コードとは何かという諸々の謎は解かれずじまい。ただ、これらの謎は原作でもまだ触れられていないので、アニメが先行して勝手に決め打ちせず、『姉妹喧嘩』の範囲で収めたのは良い判断だったと思います。
アドミラリティ・コードを失った彼女達の全てが、自立できるものではない。中には人類と敵対したままのものもいるだろうし、艦そのものを捨て、メンタルモデルの姿で人間に混ざって生きるものがいるかもしれない。
血で血を争う凄惨な戦いも、大きな戦争も、きっかけはいつだって小さなすれ違いだ。彼女たちは生まれたばかりで善良すぎた。機を見て敵とも手を結ぶ上影次官補のようには、まだなれない。
原作では「霧で『政治』を行うものが出始めている」という台詞が出てくる。肉体という制限を手に入れ、時間という概念を理解した彼女達も、いずれ『政治』を理解するものも出てくるのだろう。
だけどそれはまた別の話。原作でたっぷりしてくれると期待します。アニメ版『蒼き鋼のアルペジオ』はこれでおしまい。寂しいけど、とても晴れがましい気持ちです。よい時間でした。願わくば、原作が終了した頃に新シリーズを期待したいところですね!
■映画前編↓
■TV版Blu-rayBOX
興津和幸 FlyingDog 2015-09-16