ここに来て原作エンドほぼ確定。ガルファvsジョセフの一騎打ちは、さすがにアニメならではで見せ場の作り方は巧いなーと素直に思います。『大きな夢を見ながら、目先の恨みに人生を潰し戦争に使われる』ガルファは、実に魅力的なキャラでした。
ロロットもまた、彼のような男に必要な女だと。彼が今日まで『生きて』これたのは、彼女が尻を叩いてきたからでしょう。胡椒のように、ピリッと辛みの利いたキャラでした。
アニメオリジナルキャラの退場方法としてはベストだったガルファとロロットだけど、ベルナールとジルベールはどうなるのかまだ不明。このままフェードアウトだと、さすがにあれだなあとは思うけど
「彼氏ができましたー!」の迫力とおバカっぷりは原作に譲るところ。あれは石川雅之の画力あってのものだし、『武器をお花に変えた』シーンの能天気っぷりは、やっぱり石川雅之の画力あっての賜物だし…アニメスタッフは真面目すぎんだよーいい意味でも悪い意味でもw
あと、マリアの魔法が使えなくなった理由「自信を失ったから」とか魔女の宅急便みたいなことクドクドいわず、「僕達の考えた異端審問が出来ないので取りました、だって原作ママだと強すぎるもん」でいいと思うよ。
↑アニメではまるっと削られた第一巻第三話。司祭を一瞬で異形に変えたマリアの魔力のチートっぷりは、リアル嗜好の谷口監督の目には適わなかったのかしら…
さて。
この感想をまとめる最中、谷口監督のインタビューを読みまして…
■
“海外を視野に入れていた”TVアニメ「純潔のマリア」谷口悟朗監督インタビュー 前編
確かに、『百年戦争について、すごく真面目』に取り組んでいたことは理解できました。白土晴一氏を招いての講義会、マンガとアニメの見せ方の違いを熟知してこそのアレンジ、海外にも通用する作品作り。そのどれもが、監督として間違った努力ではありません。
ただ、インタビューを読みながら「あー、アニメ版の『純潔のマリア』は、百年戦争に構えすぎたのか。考証をがっつり行った上で『いったん忘れる』というプロセスを踏まなかったから、物語が考証(設定)に縛られすぎてしまったのかー」といろいろ思った次第。以前アップしたエントリー内で『自分は、アニメマリアで歴史の勉強をしたい訳じゃないんだけど…』と思った由来は、ここにあるのかと。
谷口監督の、アニメマリアを引き受けての第一声が「困ったな」が象徴的。「面白そう」でも「楽しめそう」じゃないんだなーと。自分達の勉強したことがちゃんと『理解したもの』として、反映されてるかどうかが不安だったのかと。それが、作品に『説明過剰』として、少なくとも私には映ったのだろうと解釈します。
そして、『百年戦争』のプレッシャーが原作ストーリーを萎縮させキャラをも縛りつけ、元々の魅力を削いでいたのかと。
同時に、これまで監督やスタッフが「原作ストーリーをアニメオリジナルにブラッシュアップする」際のテクニックとして使用して来た『原作の〔芯〕を抜く』が連動。
うん、なんと言うか…時代考証とか、海外に通じる云々以前に、もっと大切にすべきこと、あったんじゃないかなあ…。もっと原作の『物語の力』を信じればよかったのに。
人の世界にズームを当てすぎたこと、戦争や宗教に力を入れたせいで、『純潔のマリア』本来が持つ『御伽話』的な柔軟性が失われてしまった。また戦争のリアルやシリアスが中途半端に描かれてしまったため、最後のマリアの「幸せいっぱい」な展開の中にそれが黒い染みのように残ってしまって。
「幸せいっぱいのマリアが『彼氏が出来た』宣言の足元に、略奪や暴行に遭い殺された一般市民がいる」アニメ版を観て、改めて原作では『戦場』と言う『舞台の選択』に対し、細心の注意がなされていたんだなと確信した次第。
アニメ版を通して、ずっと言い続けている「バランスの悪さ」が最後まで解決されない状態で、この時を迎えてしまってるんだなと。
↑魔女達の「まるで虫みたい」なんて無神経な発言は、たぶん人間の営みの外から見た視点で語りたかったのでしょうが、「その虫に寄生して飯を食う魔女に言われたくないな」と思ったのも本音
『強姦で処女を失った』のではなく『自信を失っただけ』という結末、結局マリアの責任に転嫁させてる点も、このスタッフにいまひとつ信用が置けない点でもあります。
そもそも原作と同じポテンシャルのマリアに、オリジナル展開と同等の強姦や暴行が出来たのかな、と思うと「ふーむ」と考えこんでしまう部分でもあり。「面白さ」を認めつつも、そこがやはり素直に評価できない部分でもあり。
原作エンドにまとめようとしてるから、余計にそう思えるのでしょう。
どんなに百年戦争を勉強しても、それが万人に「すごい」と誉められるものであっても。
すごく勉強になることを並べ、何がすごいものを見せ、すごくいい気持ちにさせてくれるけど、一番肝心な部分を描かない。
そして「弱きもの」にしなければ語れない物語に、何の価値があるのかなあ。「元々あった強さ」を奪って「弱きもの」に仕立てて、その顔に痣をつけて語られる『百年戦争の知識』と『愛の物語』の意味を、考えてしまうのです。
賞賛あふれるアニメ版を観ながらこんなこと考えるのは自分だけだと思うので、メモがわりに書き残す所存です。