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その時代考証は、何のためにあるのか−『純潔のマリア』雑感【追記あり】
アニメ版『純潔のマリア』を観ながら感じた「もやもや」を吐き出します。あくまで個人的な考えであり、アニメ版が好きな方に「これが正しい」と押し付けるものではありません。


アニメ版『純潔のマリア』は面白いけど、なんだか『もやもや』すると言う話【追記】
『純潔のマリア』9話 LIBER IX『CUM GRANO SALIS 一つまみの塩を』
『純潔のマリア』10話 LIBER X『ODI ET AMO 我憎み、我愛す』
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アニメ版『純潔のマリア』12話『OMNIA VINCIT AMOR 愛は、全てに勝つ』感想からまとめ 〜やっぱりもやもやした話〜




上記ふたつのエントリーに属する内容です。原作ファンにとっても、あまり愉快な話しになることはないと思うので、今の時点で「嫌だなー」と思った方は、読まないことをお勧めします。




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「……あれ? 私、歴史の勉強したくて『純潔のマリア』観てる訳じゃないんだけどな…」


『純潔のマリア』を見始めて、4話か5話ぐらい。ぽわっと、そんなワードが脳内に浮かんだ。正直とまどった。「あれ? 何でこう思ったんだろう」と。

『純潔のマリア』アニメ化に際し、百年戦争の時代の考証をちゃんとやると知って、すごくわくわくしたのに。1話の戦闘なんか、本当に「うわあ、うわあ、すげえ」って嬉しかったのに。弓矢のアクション、ガルファの戦闘スタイル、傭兵達とか、とか。

「アニメマリアは、こういう細かい考証も楽しみどころなんだ」と。

だけど、回を重ねるごとに少しづつ違和感を覚え。そして、上記のワード。

やばいな。考証が物語と分離している。『歴史的な正しさ』が『物語(と言う大きな嘘)』を上塗りして、『純潔のマリア』と言う世界観を壊してないか? でもなぜ、そう思ってしまったんだろう。『時代考証がしっかりしてる』は、本来の誉めどころなのに。TVアニメで、この手の手堅い演出が観られるのは、喜ばしいことなのに。


アニメ質問状 : 「純潔のマリア」 百年戦争の時代考証に注力 複雑な甲冑に苦戦


このインタビューにもあるように、大変苦労した模様で、その労力はねぎらってしかるべきだし、むしろ「ありがとう」とすら言いたいのに。


この、自分の中の疑問を整理する意味も含めて、原作版とアニメ版の構造を簡単に整理してみました。




アニメ版は複雑で、12話完了の物語によくまあ突っ込んだもんだと逆に感心もしたが。


その過程で、
「ああ、この『時代考証』は原作由来のキャラのためじゃなく、アニメオリジナルキャラのために用意されたものなのか…」と、ちょっと納得。

当時の教会の影響力を描くための、ベルナールとジルベール。
当時の戦争に依存する人々を描くための、ガルファと傭兵団。
それらを丸ごと内包し、『フランス領土内でイングランドと戦う』バックボーンを担うル・メ伯とその領地。

つまり、すでに完結した『純潔のマリア』へ、オリジナルキャラを投入するために用意された『世界観』であり、原作由来のキャラは、その中へ切り張りして合わせたということか、と。


『百年戦争のフランス』を接点とし、一人称の、『一人の女の子が幸せを理解する』物語から、『その時代を生きた人々が、異端の魔女をどう思ったか』と言う、三人称ストーリーに変更するための。

マリアの森やアンの村をル・メ伯領地内としたのも、ジョセフをル・メ伯付き伝令としたのも、オリジナル展開と融合させるためかー、と。


もちろん、それ自体に異論はない。何度も言うがオリジナル展開そのものを否定しないし、しっかりした時代考証で展開される『純潔のマリア』を、とても楽しみにしていた。


しかし、その時代考証は原作を活かすことではなく、あくまでオリジナルキャラの存在を生かすため、アニメ版スタッフが原作の舞台で、『自分の』やりたいことをやるためにあるのだと分かった以上、「こりゃ分離も無理ないか」と思った次第。

いろいろ細かい考証で、あの時代をすごくがんばって再現してるけど、本来の主人公であるマリア達魔女の世界にとって、そのほとんどは関係ないこと。魔女達は遠くから人間を見ているだけだから、当然といえば当然だけど。だから原作程度の匙加減でぴったりだった訳だ。


同時に、時代考証的に「こういうことが行われた」と主張できるとなれば、作り手のブレーキが緩くなるのだなと思った。マリアへ加えられた執拗な暴力も『異端審問だから』でエクスキューズできると思ったのだろうな。

そんなリアリティ必要ないのに。原作から『芯』を奪われ、『弱い者』となったマリア。その顔に、青あざを作らなければ語れない『愛』など、何の価値もないんだがな。


時代考証がきちんとなされることは、喜ばしいことだ。無論、これからもどんどん行って欲しいし、そういうことに手を惜しまないスタッフであってほしい。ただ、『その考証は、結局何のために行われるのか』はしっかり見定めて欲しいし、考証を行うことで全体の物語のバランスが崩れるのであれば、むしろ潔く切り捨てて欲しいと思ったりもする。

そんなことを考える、『純潔のマリア』の時代考証のいろいろなもやもやでした。


【追記】

アニメの時代考証ばかり突出して語られ、原作の考証に誰も触れる気配が誰もないので一言追記します。

「原作で、中世の時代は適当に書かれてる」ことは全くありません。むしろアニメ以上に考証を行っております。ただ、『考証しましたよ!』アピールが無いだけの話。石川氏ご本人は「考証はあくまで物語のベースとなるもの」と考えているようで、必要以上な解説や描写は行われていないだけです。

最たるものが、アニメでは丸々削られた1巻3話『異端と使い魔』でしょう。元異教徒の少女が司祭に陥れられ、マリアの怒りに触れるエピソードは、当時の社会性と異端の仕組みを特に色濃く反映したものです。

なぜ、アニメでは削られたのでしょう。あれほど『純潔のマリア』の世界のベースとなる『中世フランス』時代の世相を、生き生きと反映させたエピソードは無いのに。


私がアニメ版の時代考証のあり方に良い印象を持てないのは、考証が物語を従属させている点もある他、原作のスタンスを蔑ろにしている点もあるのかもなーと、うっすら思います。


【追記その2 20150823】
『純潔のマリア』オールナイトイベントのレポートが某板にあがっていて、その中で「海外の反応を声優さんが紹介」とか「谷口監督が『百年戦争ってマイナーな時代背景が受け入れられるか懐疑的だった』」っての読んで、すごくこう…もやっと。大切なのは、もっと違うところにあるんじゃないのかと、こう、ねえ…。

これらの考証がオリキャラを活かすためですらでもなく、ただ「海外マーティングで好評を得るための揉み手要素」にしたのが、すごく…もやもや。

『純潔のマリア』はそもそも日本で発売されたマンガだし、原作/アニメ関係なく『国内のファン』を大切にすべきじゃないのかと。

ただ、アニメ視聴時に感じた「私、百年戦争の勉強のために『純潔のマリア』観てるんじゃないけど…」って印象は外れてなかったんだなと。『作り手の物語を信じる力が足りなかった』が現れてたのかと。「ねえねえボクすごく勉強したよ、間違ってないよね?」って卑屈な気持ちが現れてたのかと…。

っていうか、何が嫌って「海外の反応を声優さんに紹介させた」ってのがすごく嫌。なんでそこまで人の目を気にするんだよと。それを声優さんに読ませるのかと。

「時代考証をしっかりしました」、だから何? ですね。原作ファン以前の問題です。すみません。



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